第57回北海道新聞文学賞詩部門本賞を受賞した詩集『壁、窓、鏡』を手にする故永(ゆえなが)しほるさん。「装画のヨコイジュウさんはネットで見つけて”ぜひこの人に!”と思い依頼しました」
[2024.2.5]
書店ナビ:今回のフルコース選者は詩壇の新星!2023年に発表した第二詩集『壁、窓、鏡』で第57回北海道新聞文学賞詩部門本賞を受賞した札幌の詩人、故永(ゆえなが)しほるさんです。この度は受賞おめでとうございます!
故永:ありがとうございます!北海道新聞文学賞は一つの目標だったのでとても嬉しいです。
書店ナビ:現在25歳の故永さんが詩作を始めるようになったのは、いつ頃からですか。
故永:高校の文芸部に入ってから本格的に詩を書くようになりました。小学生の頃からミステリが好きで最初は小説を書き始めたんですが、どうも長い話が書ききれなくて。
書いてる途中で別のものを書きたくなったり、細かい表現にばかり気を取られてなかなか前に進めない。
その点、詩だと1行1行の表現を突き詰められるし、完成もする。サカナクションの山口一郎さんや米津玄師さんの歌詞が好きだったこともあって、詩の方が自分に合っていたようです。
書店ナビ:受賞作の『壁、窓、鏡』を拝読してびっくりしました。まず表紙に書名も著者名もなければ、本文を開いても各詩のタイトルがわからない。
もっと言うと、どこからどこまでが一つの詩かも明かされないままなのかと思いきや、実は巻末に目次があるという非常にチャレンジングな構成でした。
受賞作の『壁、窓、鏡』は故永さんの自費出版。本人による通販か、札幌の「Seesaw Books」・小樽の「がたんごとん」の店頭またはオンラインショップで購入できる。税込1000円。
故永:2020年に出した一作目の詩集『あるわたしたち』を作っているときから「次はレイアウトも含めてもっと〈本〉としてのあり方にこだわってみたい」と思っていました。
例えば収録作品の中から一つピックアップすると、日本詩人クラブが主催している詩の賞「新しい詩の声」で2021年の最優秀賞をいただいた「咬合」。
この作品は賞の応募規定を見ると、「1行は22文字以内、本文34行まで(空行を含め)」だったんです。
通常「詩を書く」というと、行数とかにとらわれずに自由に書くんだろうと思われがちですが、このときの僕は形式と中身に必然性があることをやってみたくて、中身より先に「22文字×34行」という枠組みを決めて、それにハマるように言葉を選んでいきました。すごく大変でしたが、作っている時はめちゃくちゃ楽しかった。
こんなふうに自分のやりたかったこと全てを詰め込んだのが、この第二詩集です。
2段組みの「咬合」。上段1行目「歴史に呼ばれて」の次は左隣の2行目「絶滅を見つめながら」を読んでもいいし、下段1行目の「人間が撤去された」を読んでもいい。どう読むかを読者に委ねる自由な詩のあり方を提示した。
書店ナビ:他にもいろんな制作エピソードがあるかと思いますが、この続きは2月18日(日)に札幌市中央区の俊カフェさんで行われる受賞記念トークイベントでたくさんの方に聞いていただければと思います(詳細は下記のリンク先まで)。
故永しほる詩集『壁、窓、鏡』刊行&道新文学賞詩部門受賞記念イベント
書店ナビ:ちょっと一般論になりますが、読書の中でも詩はかなりハードルが高い印象です。
その点、故永さんはご自分のnoteで「詩をわかることの手助けになるような文章があってもよいのではないだろうか」と書いていらっしゃいますね。
故永:僕が高校時代に初めて買った詩集は文月悠光さんの『屋根よりも深々と』と、カニエ・ナハさんが中原中也賞を受賞した『用意された食卓』でした。
このとき、文月さんの作品は文月さんが当時の僕と同じ高校時代に書いた詩が収録されていたこともあって、すごく響いたんです。ところがカニエさんの方はさっぱりわからなかった。
あとで調べたところ、タイトルの由来とか執筆時の時事の影響だとかいろんなことを知ったのですが、それがわかったところでまだまだわからない。
それでも繰り返し読んでいくうちにあるとき、「食べ方がわかった!」みたいな瞬間があったんです。もっと噛まなきゃいけなかったところを丸呑みにしていた、みたいな。
今も4割ぐらいはわからないんですが、確実に響くものが僕の中に生まれている……という経験を僕自身がしているので「これから詩を読んでみようかな」と思う人たちは、あまり意味を掴もうとしすぎなくてもいいと思います。
それよりもメロディーみたいに「この言葉の後にこの言葉が来ると気持ちがいい」とか、言葉同士がぶつかったときに生まれるものを素直に味わってみてはどうでしょうか。
仕方のないことですが、そもそも詩集って価格が高いので、”成功体験”がないと一冊を買うハードルが高い。文庫本だったらその本が面白くなくても次を買うけど、2、3000円出した詩集がちんぷんかんぷんだったら、もう一冊詩集を買うとはなかなかならない。その気持ちもわかるんです。
書店ナビ:故永さんの詩集フルコース、ぜひ読者の”成功体験”にしてもらいたいですね。
書店ナビ:著者は絵本『手をふる 手をふる』や児童文学『どろぼうのどろぼん』なども書いている斉藤倫さんです。
故永:詩の世界に関心を持ってもらうのに最適な一冊だと思い、《前菜本》に選びました。最初に引用されている藤富保男(ふじとみ・やすお)さんの詩の出典が思潮社の現代詩文庫57『藤富保男詩集』ですが、この現代詩文庫シリーズも作家さん別にまとまっているので詩の入門書としておすすめです。
書店ナビ:本書は主人公の一人、大人である「ぼく」が”上から目線”じゃないところがとてもステキですよね。
故永:ですよね!僕もこことか大好きな場面です。
「じゃあ、ただしいことばなんて、ひつようないっていうの」
きみは、きらきらした目で、いった。ざぶとんから、身をのりだした。
「まあ、ひつようだね」
ぼくは、いった。
「なあんだ」
きみは、がっかりしたように、いって、うしろのゆかに、手をついた。「もっと、すごいことをいうかとおもった」『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』9ページより
故永:世の中の流れが「すごいこと」を言って注目を集める方向に進んでいるような気がしますが、そこにはいかず、良い塩梅を大切している。グッときました。
ストーリー自体に起伏があるわけではないけれど、二人の他愛のないやり取りの中に詩的な瞬間がいくつもあって、じんわり心情が伝わってきます。
同じ著者の『ポエトリー・ドッグス』も犬のマスター(!)が主人公に詩とお酒を手ほどきしてくれる話で、こちらもおすすめです。
故永:僕はこの本の帯に抜粋された一文「馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。」を読んだ瞬間、「これは買わないとダメだ!」と思って購入しました。
選評でも書かれていますが、石松さんは「比喩」ーー直喩や隠喩がずば抜けて優れていて、どのページをひらいても美しい表現が溢れています。
著者の石松さんは1984年生まれで福岡県在住。2020年に出版された本書で第71回H氏賞を受賞した。
故永:一般に「彼女の瞳は湖のように深い」みたいな表現は直喩(~のようだ)の例としてなじみやすいでしょうが、「馬の背中」をまったくの別物である「うつくしい作文」と表現する隠喩や、「今日、海のように背筋がうつくしいひとから廊下で会釈をされて、こころにも曲がり角があることを知った。」(「梨を四つに、」)のように、「背筋」の美しさを喩えるのに「海のように」という一見遠い言葉を選んでくる。そこに圧倒されます。
よく「詩的な小説」と言われる作品がありますが、石松さんの作品はその真逆にある存在。
意味を積み重ねて、ストーリーを伝えるところに比重を置いている小説に対して、微かにストーリーのようなものが見え隠れするけれども、あくまでも表現の方を優先して読み手が思わぬ方向に進んでいく。「屈折率が高い」と表現される所以です。
書店ナビ:詩を難しいと感じるのはそこです。意味が追えなくなるとつい読む意欲も薄れてくる……。
故永:詩は、言葉を絵の具がわりにして”何か”を描こうとしているもの。普段の文章とは違う見方をするほうが、その世界に入りこみやすいのかもしれないです。
もちろん意味を重視して言葉選びをしている作品はたくさんありますし、僕にもそういう作品がありますが、「現代詩」と言われるジャンルを考えると、ここで言う「現代」は「現代アート」の「現代」に近く、俳句や短歌のように形式が確定されてない表現を追求しています。
なので、一読して全然わからなくても大丈夫。僕もわからないときは「わからない」と正直に言ったり書いたりしています。
故永:実はお名前の「蜆」から連想して《魚料理》にしたんですが、もちろん中身もメインにふさわしい食べごたえ。作中の無数のモチーフが頭の中で繋がり、果てしなく想像が膨らんでいく、空恐ろしいほど面白い一冊です。
書店ナビ:蜆シモーヌさんは1979年アイルランド生まれの日本人。現在は大阪在住なので作品にも関西弁が。第59回現代詩手帖賞を受賞後、本書が刊行されました。
ひらがなで綴られる言葉遊びやオノマトペに翻弄されて「なんだこれは!」の世界です。
なんかでてるとてもでてる
ただそこにいる
だけなのに
そのひとからは
なんかでてる
そのひとからは
なんかにじみでてる
ふえろもん
いえちがう
おーら
いえちがう
なんかもっと
こう
はらはら
でてるもの
おもてにしては
いけないもの
(
い、いけないわ)蜆シモーヌ『なんかでてるとてもでてる』表題作より
故永:確かに蜆シモーヌさんの作品は一見、猥雑にもお笑いにもとれるオノマトペやひらがなの洪水に流されそうになるんですが、僕は全篇を通じてこの人独特の宗教観、世界観をひたすら構築しているんじゃないかと読んでいます。
人間や世界を「管」として考えるところや、低いところから高いところへと縦に上昇していくことの意味、ところどころに人形浄瑠璃やキリストの言葉、宮澤賢治や太宰治にも触れていたり、広島の原爆ドームや東日本大震災のことも出てきたりして。
この想像力の広がり方は叙情詩のようでもあり、頭では理解できているような気がするけれど、じゃあ体で実感できているかというとそこはまだ、という感じがします。
でもこの人は、逃げていないんです。「いいます」や「くりかえします」などストレートに言い切ることからも逃げずに対象に向き合っているところが、とてもかっこいい。
ちなみに現代詩手帖賞を受賞した詩人の第一詩集にはどれも版元の思潮社が副読本となるような冊子を付けています。それがいい補助線になってくれると思います。
書店バイトの経験もあるという故永さん。詩作はスマホをメモ代わりにし本番の執筆はWord、レイアウトにはInDesignを使っている。
書店ナビ:文芸批評家でもある野村喜和夫さんは1951年生まれ。「戦後世代を代表する詩人のひとりとして現代詩の最先端を走りつづけるとともに、小説・批評・翻訳・比較詩学研究なども手がける」(野村喜和夫HPより)。
そんな大御所が2021年に発表した大著がこの『妖精DIZZY』。DIZZYは「眩暈(めまい)」を意味しています。
帯のコピーがすごいです。「陶酔と狂気の言語スパイラル。レイアウトによる介入的批評/分析が加わった、かつてなき書物の立ち上げ!」。
故永:これは実物を見ていただくのが一番早いですね。装幀と本文デザインは制作集団「いぬのせなか座」の山本浩貴さんとhさんが担当されたそうです。
レイアウトによって詩を新しく解釈する”極北”だと思います。
野村氏の「眩暈原論」と「絵本『眩暈』のために」という二つのテキストをデザイナーたちが大胆にレイアウトした緑色のBook1(228ページ)と、原稿をシンプルに組んだ橙色のBook2(128ページ)、そして野村喜和夫と関係者による鼎談を収録した冊子の3冊がセットになった『妖精DIZZY』。
左が「解釈/分析」込みのレイアウトのBook1で、右がシンプルバージョンのBook2。
Book1には前ページの言葉も緑色で薄く印刷され、残像が映り込んでいるような仕掛けも。レイアウトには「(断続的とはいえ)一年半」の歳月がかかっているという。
「ここ見てください。前のページで『眩暈主体』という言葉があり(上の画像)、次のページをめくると同じ箇所に『永劫の無音の叫び』という言葉が重なっている。これは絶対に意図的。横につけるルビじゃなくて、奥行きのルビ。初めて見たときに”えぐすぎる!”と唸りました」
故永:僕の感覚では、こうやって短く改行されていくとスパンスパンと言葉で切られているようで、読んでいる僕は傷を負う。
いっぱい傷つきながら読んで次のページになると、血がにじみ始める。その血のにじみとして薄い緑文字があり、血を失うことでぐらぐらするようなめまいを覚えるのかなと思ったりしています。
書店ナビ:故永さんの読み方も「なるほど!」とひざを打つ思いでうかがっています。
詩のことってもしかすると、こうやっておしゃべりで聞いた方が初心者にはわかりやすいし、読みたくなるかもしれませんね。
故永:僕はこのテンションで実家に帰るたびに祖母に詩のプレゼンをしています(笑)。
故永:タイトルに「ケーキ」が含まれているので《デザート本》にしました。著者の三角さんとはトークイベントで一緒にパネリストをしたことがあります。
13歳の「わたし」視点の語りは、意味に近いところで言葉が表現されているのでわかりやすく、「ひとりでは/三つ編みが結えなくて/母にゆだねている日々」(「森の生活」)なんて読むと共感する人は多いでしょうし、パッと情景が浮かびますよね。
こんな風に一見どれもサラッと読めるんですが、でも急に「途方に暮れながら/平然として」(「孵化する日まで」)と出てくると、「途方に暮れる」もわかるし「平然とする」もわかるけれど、その2つがくっついたとたんに気がついたらすごく高い場所に立っていた、みたいな感覚に襲われる。極小から極大への振れ幅の大きい飛躍ではなく、極小から小への飛躍が非常に繊細に行われているように感じられます。
こういう詩は読み手がかなり感度を上げないと、わかるがゆえにスルーしてしまうところがいっぱいある。教科書に出てくる詩も、実はそういうタイプの詩が多い気がします。
書店ナビ:すごく面白かったです!詩集の幅広さ・奥深さを垣間見ることができました。
故永:《前菜本》の「きみ」である少年から始まって、《デザート本》は自分の中学時代にもいそうな女の子で終わる。
その間に意味や表現を考えるすごいコーナーをまわってきていますが(笑)今の自分らしいフルコースになったかなと思います。
書店ナビ:最後にもう一度、故永さんの詩集『壁、窓、鏡』に話を戻しますが、タイトルにはどういう思いがこめられているのでしょうか。
故永:第一詩集の『あるわたしたち』が思いきり自意識に振ったものだったので、今度は違う場所に特化したものにしたくて〈向き合う対象〉にしました。
コロナ禍の時代や社会の空気をいっぱい吸ったあとで、今の自分は何とどう向き合うのか、そのイメージとして「壁、窓、鏡」を考えながら構成していきました。
2月18日の俊カフェさんでのトークイベントでは第一部のゲストに「がたんごとん」の吉田慎司さんを、第二部には評論家で詩人の阿部嘉昭さんをお招きして、これまでの活動や詩集について語っていきます。どうぞ気軽にいらしてくださいね。お待ちしています!
故永しほる詩集『壁、窓、鏡』刊行&道新文学賞詩部門受賞記念イベント
書店ナビ:今後ますますのご活躍を心から応援しています。言葉の軽さや危険性ばかりが目立つ今、言葉の強さ・輝きを教えてくれた故永さんの詩集フルコース、ごちそうさまでした!
詩作者。1998年北海道出身、札幌在住。2020年に第一詩集『あるわたしたち』を自費出版し、2023年発表した第二詩集『壁、窓、鏡』で第57回北海道新聞文学賞詩部門本賞を受賞。
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