北海道大学文学研究院 人文学部門 哲学宗教学分野 哲学倫理学研究室に所属する村松正隆教授。
[2024.9.30]
書店ナビ:2024年10月6日日曜、札幌日仏協会と札幌アリアンス・フランセーズが主催するイベント「ボンジュール パリ」がD-LIFEPLACE札幌(旧札幌第一生命ビルディング地下1階)で開催されます。
午前10時に始まり16時のエンディングまでトークやライブ、写真展など様々な角度からフランス・パリの魅力に迫る内容だとうかがっていますが、当日13時40分から小一時間ほど、この秋に読んでほしいフランス小説を紹介する北海道大学教授の村松正隆先生と北海道書店ナビが、初めてのコラボ企画に取り組みました。
内容はズバリ、本のフルコースを作ること!分野はもちろんフランス小説ですが、イベントより早く公開される北海道書店ナビでは〈黒=noirノワール〉編を、「ボンジュール パリ」当日には会場で〈白=blancブラン〉編をお届けします。
実を言うと、村松先生のご専門は近現代フランス哲学・近現代倫理学ですが、今回は「ボンジュール パリ」のために特別に作られたフルコースだとうかがっています。
村松:本来であれば哲学専門の私よりも適任の方は大勢いらっしゃると思いますが、ご縁があって10月6日のトークのご依頼をいただきました。仕事柄、ある程度小説も読んでいますので私なりのフルコースをご提案するつもりで選書しました。
これをきっかけにフランス文学やフランス語に関心を持っていただけたらと思い、全て入手しやすい文庫縛りにしています。
書店ナビ:文庫ですと買う方もハードルが下がり、とてもありがたいです。そして同じフランス小説でも〈黒〉と〈白〉別にフルコースを作るという、一癖も二癖もありそうな切り口が秀逸です。
〈黒〉というとやはり人間の欲望や暗い感情がドロドロと渦巻き、〈白〉は人間讃歌のような明るいイメージを思い浮かべます。
村松:今回の選書のことを何人かの同業者と話したのですが、大いに盛り上がりました。そもそもフランス文学の作品に〈白〉はあるのか、という暴言(?)も飛び出しましたね。
〈黒〉については皆さん一家言お持ちで、ここで紹介できないのが残念ですが、《前菜》から《デザート》まで、様々な作品の名前が挙がりました。
皆さんもよくご存知の『星の王子さま』を〈黒〉小説に挙げた人も出てくるなど、思わぬ意見が出てきたのも面白かったです。
書店ナビ:それでは早速、村松版フランス小説〈黒〉の5冊を一緒に見てまいりましょう!
書店ナビ:今年のノーベル文学賞の発表も、10月10日と目前に迫ってきました。アニー・エルノーは2022年の受賞者です。中絶が違法だった1960年代のフランスで妊娠した大学生の苦悩を描いた『事件』は映画化され、2022年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。
村松:日本語訳があまり出ていないノーベル文学賞受賞者もいる中で、アニー・エルノーの作品は多くが邦訳されており、しかも文庫まで出ているのですから、日本でもやはり人気があると言っていいのでしょうね。
ちなみに北海道大学文学部には、2018年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの作家オルガ・トカルチュクの日本語翻訳を手がける小椋彩先生も在籍しています。不思議な味わいのあるトカルチュクの小説も、ぜひ手に取ってみてください。
小椋 彩 ? 北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部
村松:話を戻しますと、この作品については私があれこれ述べるよりも、主人公と同じ女性の意見を聞いてみたくなります。いかがでしたか?
書店ナビ:主人公による元カレの新しい彼女探しがエスカレートする一方で、肝心の元カレとも自分から別れを切り出しておきながら会い続ける。「そういうことをしてるから気持ちが切り替えられないのでは?」と思ったりしました。
村松:確かになぜ、わざわざ自分が苦しむ道を選ぶのかなという疑問はわいてきますね。結末もわかるようで真にわかったとは言いがたい。
アニー・エルノーの作品は完全なフィクションとも言いにくいもので、自身の経験や人間関係を反映させつつ、そこで蠢く〈黒〉の感情を潔く突き放して読者に差し出す、というところに世界中の人々が共感を寄せているのだと思います。
彼女が家族を描いた『場所』や『ある女』も、すばらしい作品ですね。
村松:登場人物は主人公のアルセストと、その友人のフィラント、そしてアルセストが恋するセリメーヌと、アルセストに張り合って彼女に恋を囁く取り巻きたちが出てきます。
当時の社交界にはびこる、心にもない追従やへつらい、悪意混じりの噂話や自慢話が飛び交う風潮を蔑み、清廉潔白を貫こうとするアルセストは、いわば「ドラえもん」の”出木杉くん”を極端にしたような存在でしょうか。
そんな彼に「大人になれよ」と言う友人フィラントは、モリエールの時代の市民が理想とする良識を体現する人物です。
アルセストは確かに間違ったことは言っていないけれど、彼のようにひたすら極端な美徳だけを追求していくならば、最後には「この世で自分だけが清く正しい存在である」と思い込むモンスターになってしまう。
とはいえ、アルセストのような人も必要なんですよね。自分を諫めてくれる人が減ることで自己評価が高くなってしまうことの怖さもまた、『人間ぎらい』を読むと実感します。
わたしはこの本を高校生のときに読みましたが、アルセストを気の毒に思ったことを覚えています。
書店ナビ:ラストでもまた、真の友フィラントの存在感が光ります。
村松:タイトル『人間ぎらい』の原題は”Le Misanthrope”で、人間( anthropos )に対して否定的(mis-)といった意味ですが、フィラント( philinte )のフィル(phil-)は「愛する」を意味しています。つまり彼は暗に、本書のタイトルとは真逆の「愛に満ちた人」といった役割を担っていることがわかります。
貴重な映像資料もたくさんある村松先生の研究室。
村松:『人間ぎらい』を読んだあとは、モリエールの青春時代を描いた映画『モリエール 恋こそ喜劇』(日本公開2010年)もおすすめです。モリエール版『恋に落ちたシェイクスピア』ともいえるロマンチックコメディで、『人間ぎらい』などのモリエールの作品を知っているとさらに楽しめます。
書店ナビ:物語の設定は、プロシア軍に占領されたフランス・ルーアンのまちから男女10人が同じ馬車に乗り合わせて港町のディエップに向かうというもの。
6日間の道中での出来事ですが読後、心が〈真っ黒〉になりました。
村松:この本は40代になってから読み直して、改めてその〈黒さ〉に心を掴まれました。
ネタバレにならないようにお話ししますと、ある登場人物に対する残り9人の行動がとにかく非道。キャッチフレーズをつけるとしたら「全員、悪人」とでも言いたくなるレベルです。
日本にも似たような同調圧力はあるでしょうが、ここでは当時のフランスの階級差からくる侮蔑もあり、普通なら考えられないような厚顔無恥な会話やふるまいが堂々と繰り広げられます。
一般に短編小説というのは、特に日本の場合がそうかもしれませんが、俳句的というか、ある一瞬を切り取って心象風景を描くのに適した様式ではないでしょうか。
しかしこの『脂肪のかたまり』は戦時下の乗合馬車という閉鎖空間を設定し、普段なら席を同じくすることのない様々な階級の人々を一堂に会させて、当時の社会の構造や人々が内に抱えていた〈黒〉を描き出すことに成功している。その意味でも完璧な短編小説だと思います。
村松:冒頭でもお話ししたように『ゴリオ爺さん』しかり、『ボヴァリー夫人』しかり、フランス文学の名だたる作品は大抵〈黒〉ですが、伝統料理的な古典にハードルの高さを感じる方もいるのではないかと思い、現代作品の中から今のフランスが抱える問題を描き出す〈黒い〉ものを選びました。
2022年のフランス大統領選で極右・国民戦線のマリーヌ・ル・ペンと穏健イスラーム党の党首が決戦に挑むという、現実にもありえない未来ではないと思えるパラレルワールドが話題を呼び、ベストセラーになりました。
イスラーム化が進むにつれ、宗教的な側面でも人々は変化を強いられ、それに大学教員がどう「服従」していくのか。ウエルベックは性を描く作家ですので、そこに軽薄な性衝動や幾重にも深読みできる食の描写を織り交ぜながら魂不在の現代人を描いていく……。
プロットは非常にシンプルですので、「人間てこういうものだよな」とシニカルに読んでいく面白さももっています。
一種の「パラレルワールドもの」とも言えますが「さすが、ウエルベック」と思わせてくれるがっつりこってり具合をこの『服従』で味わっていただきたいです。
「本のフルコースは私が哲学書フェアでお世話になった紀伊國屋書店の林下沙代さんや、北大出身の満島てる子さんも登場しています。皆さん、ご本人らしい選書で読み応えがありました」
書店ナビ:『三銃士』でおなじみの激動の17世紀を生きたラ・ロシュフーコー。この箴言集は一貫して自己愛について書かれているんですね。
4 自己愛は、どんなに賢い人間よりもさらに賢い。(本書P18)
228 プライドは借りを作りたくないと言い、自己愛は借りを返したくないと言う。(本書P57)
村松:ロシュフーコーの時代は「太陽王」とも呼ばれたルイ14世が王権を強めていくあまりに、その反動として「人間なんて所詮は自己愛の塊なんだ」というような、ある種のペシミズムが特に貴族の間で蔓延していったのではないかと考えています。
しかしほぼ同じころ、力をつけてきたブルジョワの間では、人間の本性に対してもっと寛容になろうという機運が高まってきて、その延長でそうした感覚から外れた『人間ぎらい』のアルセストのような人たちを舞台で笑い飛ばしていく。そんな流れも意識しながら、『人間ぎらい』と並べて読んでみるのもいいかもしれません。
書店ナビ:フランス語がわかれば、細かいニュアンスなどもさらに楽しめそうですね。
『箴言集』に度々出てきた「コケット・コケットリー」についてその場で調べていただいた。「332 女たちは自分のコケットリーを熟知しているわけではない。」(本書P76)
村松:おっしゃる通り、外国語の習得は世界を広げてくれるものです。またそれに外国語を学ぶことで〈言葉〉への意識が高まると、母語ですら自分の読む・書く力がいかにつたないかが実感できます。
札幌アリアンス・フランセーズには様々なフランス語のレッスンがあります。興味をお持ちの方はぜひホームページをのぞいてみてください。
札幌アリアンス・フランセーズ? Alliance Francaise de Sapporo
あと、友人たちと一緒に作った『フランス語で学ぶ哲学22選』では重要な文法を『箴言集』の短文で学ぶ工夫をしています。
書店ナビ:フランス小説の〈黒=noirノワール〉編、国も時代も超越して身に覚えのある感情ばかりでとても面白かったです。
村松:これは私がつねに発想の根源に置いている考えですが、「自分がいい人間だと思い込んでいる人間はろくなものではない」。
自身のうちにあるエゴイズムやナルシシズムといった〈黒さ〉を自覚することが、結果的に多少人間をましにしてくれるのであり、このプロセスを抜きにした自己肯定は害悪である、という強い信念を持っています。
特に、生徒や学生に批判されにくいがゆえに自分のうちの〈黒〉を忘れがちな、「先生」と言われる立場の人には意識してほしいプロセスです。
書店ナビ:人間の〈黒〉の側面を理解すると、人づきあいも変わってくるでしょうか。
村松:人はどうしても他者のエゴイズムに敏感になりがちですが、自分の内なる〈黒〉を自覚できれば、他者のエゴイズムへの眼差しも変わってくるでしょう。
あと、他人に勝手に期待して、「裏切られた」などと思うことも減るのではないでしょうか。
今回選んだ〈黒〉の5冊を通して現実世界における「人づきあいの筋トレ」をしている、と思っていただくといいかもしれません。
書店ナビ:「人づきあいの筋トレ」、いいですね。学校では教わらない、とても実用的なトレーニングになりそうです。
さて、きたる10月6日日曜開催、札幌日仏協会と札幌アリアンス・フランセーズが主催するイベント「ボンジュール パリ」では、今回のフランス小説の〈黒=noirノワール〉編の対となる〈白=blancブラン〉編がD-LIFEPLACE札幌(旧札幌第一生命ビルディング地下1階)で紹介されます。参加無料で、この日紹介する本のプレゼントもあるそうです。たくさんの方のご来場をお待ちしています。
まずは〈黒〉の中に人づきあいのヒントを見出すフルコース、ごちそうさまでした!
北海道大学文学研究院 人文学部門 哲学宗教学分野 哲学倫理学研究室教授。1972年東京生まれ。東京大学文学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(文学)。跡見学園女子大学准教授を経て現職。
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