《ウイスキー抽象画》を描く五十嵐さん。背後の作品は「深めに入れたコーヒーをベースにエドワダラーやアードベックなどいくつかのウイスキーを合わせた」味わいを描いたもの。
[2023.6.26]
書店ナビ:「自分が飲んだウイスキーの印象を色や形に変換した抽象画を描いています」。
札幌の会社員、五十嵐雄生さんがオフの時間に取り組んでいる《ウイスキー抽象画》の活動を聞きつけたのは、2023年4月のことでした。
アクリル絵の具で描いた作品とその題材になったウイスキーの試飲も楽しめるオープンアトリエに行き、「ぜひ今度、お酒に関するフルコースを作ってください!」とお願いして出来上がってきたのが今回のフルコースです。
五十嵐さんの《ウイスキー抽象画》「ブルックラディ クラシックラディ」。上から下へ時間軸が進み、飲み始めから徐々に色が変化していく。途中、水を加えると「麦と蜂蜜の甘さが際立つ」ようになり、黄色と青緑で表現した。
こちらは「タリスカー10年」。上から順に鼻を近づけた時の「潮っぽさ」、もわもわとしたスモーキーな味わい、「歯の先についた塩みたいなしょっぱさ」を感じる余韻の始まりを描いた3層構造。
書店ナビ:五十嵐さんは札幌市出身。建築や空間が好きで建築業界に進み、建築資材メーカーを経て現職はハウスメーカー。同社のマーケティング部でプロモーション全般を担当しています。
ウイスキーとの出会いは、会社の上司にバーに連れて行ってもらったのがきっかけだったとか。
五十嵐:はい、それまで自分から飲んだことは一度もなくて、初めて飲んだウイスキーの第一印象は「おいしい!」よりも「変わってるなぁ」。銘柄によってこんなにも味の差があることに驚きました。
それになんといっても、バーという空間にものすごく惹かれました。ちょっと暗くって、ただお酒を飲んでときどき話したりするだけなのに、その時の場所、時間、相手によって話す内容や雰囲気が変わったりする。不思議な空間ですよね。
それから自分でもボトルを買ったり、バーに足が向くようになりました。
書店ナビ:ウイスキーの味わいを描くという発想はどこからきたんでしょうか。
五十嵐:飲んだ印象を書くテイスティングノートはつけていたんです。「ボンドみたい」とか思ったことをつらつらと。
でもやっていくうちに自分が書いた印象とオフィシャルに言われている表現がどうも違うことに気がついて(笑)。
例えば、スコットランドに咲く花を引用して「ヘザーのような香り」と言われても、自分は行ったこともかいだこともないから、わからない。その表現は僕の中から出てこないんですね。
そういうことが増えていくうちに「これはもしかして言葉より色や形にしたほうがいいのかも」と思ったのが《ウイスキー抽象画》の始まりです。
絵を描く活動は「ノムスル」という屋号で展開中。当初は木版画で表現していたが、繊細な味の移り変わりを表現するのに不向きとわかり、現在はアクリル絵の具で描いている。
「木もれ日」「ハチミツ」「リンゴのしぶみ」「あっさりと長く」などの印象を綴ったメモカード。
「これはこの2本を飲み比べしながら描いたもの。飲みはじめの印象はどちらも違うんですが、両端にいく(時間が経つ)につれて余韻があっさりとフェイドアウトしていくところは似ていました」
五十嵐:今さら僕が説明するまでもなく誰もが知るウイスキー本ですが、とても読みやすいので《前菜》に選びました。
今は定番になった牡蠣にシングル・モルトを数滴かけて食べるスタイルも、この本で知ったという人が多いですよね。
書店ナビ:「ボウモア」とか「ラガヴリン」の蒸留所がどこにあって、どんな情景が広がっているのかが、村上春樹の筆で雰囲気たっぷりに描かれています。
五十嵐:ええ、それとウイスキーって棚の一番上に飾ってあるような高級でお上品なイメージが強いと思うんですが、この本に載っている写真や文章からは現地で普通のおじさんたちが腕まくりをして作っている土着の感じが伝わってくる。
僕はそこがすごく納得がいったというか、好きでした。いつか、いつか現地に行ってみたいです。
書店ナビ:本書が出版されたのは2021年7月。1000万年前のアフリカから始まり、深酒が原因で落命したアレクサンドロス大王や近現代の日露戦争、アメリカ大統領暗殺など、どの章も映画になりそうなエピソードばかり。
五十嵐さんが特に印象に残っているお話はどれでしたか?
五十嵐:第15章の「フランクフルト(ドイツ)1871年5月9日──コニャックですっかりできあがってしまったビスマルク、フランス占領からの撤退を承諾」でしょうか。 プロイセンとフランスの戦いで勝利をおさめたプロイセンの宰相ビスマルクと、戦後の条約を決めるテーブルについたフランス財務大臣プイエ=ケルティエ。 どちらも相当な酒豪で知られており、先にビスマルクが「ビールはお好きですかな?」と口火を切り、そこからなし崩しにコニャックへと進んで、また歴史が動いていくという…。部下たちにとってはいい迷惑ですよね(笑)。
「リンカーンやJFKのボディガードたちが暗殺前日に実は相当飲んでいて…という話も面白かったです」
書店ナビ:結局、飲みたい人たちにとってはいつも「飲みどき」であり、全てが「飲む口実」になるんですね。反面教師にしたいです。
書店ナビ:作者は神戸出身の成田一徹さん。神戸港振興協会を退職後、切り絵作家として独立。京阪神や東京を中心としたバーめぐりをライフワークとされていたそうです。
2012年10月に63歳でお亡くなりになりました。
五十嵐:「ノムスル」を始めてから「他にこういうことをしている人っているのかな?」と調べているうちに成田さんにたどりつきました。
この本に載っているバーは神戸や東京の名店が多いんですが、一軒だけ僕が行ったことがある店があるんです。それが銀座の「ロックフィッシュ」。
「僕のような一見客はテーブル席に案内されるんですが、その席からカウンターを見た光景がまさにこの通りなんです」
北海道の名店も数点掲載されている。「バーやまざき」の故・山崎達郎さんも。
「やまざき」で修行した中田耀子さんの「ドゥ エルミタアヂュ」も掲載。
五十嵐:成田さんは昔ながらのオーセンティックなバー文化を守りたい、盛り上げたいという想いがおありだったようで、僕もそこにすごく共感します。
書店ナビ:本書のその後を調べたところ、2022年に23点の作品を加えた完全改訂版『成田一徹to the BAR』(株式会社北澤企画事務所)が出ています。
残念ながらすでにソールドアウトのようですので、もしどこかでお見かけになった方はじっくりとお楽しみください。
書店ナビ:1986年に出版されたこの本の著者は「1942年岡山県生まれ。海外ガイドブックなどの取材、編集歴30年。訪問国と地域は100以上」だとネットで拾いました。
旅人としてあらゆる国、そして酒場を訪れてきたキャリアをお持ちのようです。
五十嵐:タイトル通り、ニューヨークやスペイン、ギリシャ、モロッコ…といろんな国を訪れては現地の、いわゆるうらびれた酒場で酒を飲む。ただそれだけの話なんですが、とにかく面白いんです。
この本に書いてある松島さんがバーに求めている最低の条件は、
一つ、必要最小限のこと以外はしゃべらなくてすむこと。
二つ、あらゆる階層、あらゆる職種の人が出入りしていること。
三つ、繁盛していること。
四つ、賑やかで、騒がしくなくてはならないのだが、その中で完全な孤独感が味わえること。
五十嵐:適度な会話があってもいいと思う僕は、この4つにあんまり共感しないんですけど(笑)、でも松島さん流の「高そうなバーで気取って飲んでいるやつらと自分は違う」というスタイルを貫いているところがすごく好きです。
例えば、ハワイのワイキキでの話。松島さんは宿泊先であるホテルのバーに見向きもしないで、わざわざ遠出してさびれたバーに入ります。 そこで現地のポリネシアンのおじさんとぽつぽつ話すようになるんですが、相手に「どこに泊まっているんだ」と聞かれて正直に答えたとたん相手の態度が一変し、「帰れ、ここはおまえが来るようなところじゃない」とすげなくされる。
書店ナビ:そんないいホテルに泊まってるやつは場違いだ、ということなんでしょうね。
五十嵐:ええ、でも、そう言われた松島さんは自分が「及びでない」ことを瞬時に悟って帰るんです。ブレてない!
他にもスペインでは酒飲み同士の喧嘩を「決闘」にたとえたり、ニューヨークのバーで話しかけてくる調子の良さそうな男を全員「ニック・ノルティ」(映画『48時間』などで知られる俳優の名前)と勝手に命名したりして、言葉のセンスにも脱帽します。
「酒場って万国どこもこんな風にこってりしてるんだろうなぁ」という意味で《肉料理》にしました。
あまりにも好きすぎて「古本屋で見つけるたびに買っちゃう」そう。
書店ナビ:こちらは洋書の写真集。サラ・ストルファさんと読むんでしょうか、1975年生まれの彼女はバーでアルバイトをしていた2004年にThe Regulars(常連客)を撮影したこのシリーズでNYタイムズの学生写真コンテストに優勝。
現在は写真家、ミュージシャン、現代アーティストと多方面で活動されているようです。
五十嵐:先ほどご紹介した《肉料理》本にもし、フィラデルフィアの章があったのなら絶対このバーが出てくるだろうなと思って選びました。
どちらかというと不健康な風貌で愁いを帯びた眼差し…国を問わず酒場に集う常連たちはきっとこういう雰囲気の人たちだろうなと思わせます。
めちゃめちゃ「ニック」っぽい人たちも出てきます(笑)。
「ああ、この人もニックっぽくないですか?」とページをめくりながら盛り上がった。
書店ナビ:とっても面白い5冊でした。お酒と酒場の力は時代も、国をも超えますね。
五十嵐:きっとアレキサンドロス大王の時代も現代も、フィラデルフィアも大阪のバーも酒が引き起こす失敗や酒場を構成する要素は大して変わってないんだろうなという気がします。
初対面同士でもカウンターがあるとなぜか話が弾んだりして、改めてバーという空間の不思議さを実感します。
《ウイスキー抽象画》「ボウモア12年」。他の作品は味わいの変化を時系列に沿って表現することが多いが、この作品は「スモークとピートのモヤモヤとした印象」をそのまま描いている。
書店ナビ:時おり、こちらのアトリエを公開するオープンアトリエを開催されてますね(開催告知はノムスルのInstaで発信)。 有料のウイスキー試飲があり、作品の解説も直接五十嵐さんから聞ける。とてもいい雰囲気でした。
オープンアトリエでは今回ご紹介いただいた5冊を含む五十嵐さん私物の本も公開。
五十嵐:絵を描いた以上はたくさんの方に見ていただきたいですし、これまでウイスキーを飲んだことがない人が「自分はこの絵が好きです」と絵から入って試飲して、そのお酒にも関心を持ってくれたりすると、すごく励みになります。
ささやかな個人活動ですが、わずかながらもバー文化を盛り上げる役に立てるのならこんなに嬉しいことはありません。
書店ナビ:五十嵐さんの作品は購入することもでき、すでに店に飾っているバーやカフェもあるそうです。これからそういう場所が増えていくといいですね。バーに行きたくなる「お酒と酒場」本のフルコース、ごちそうさまでした!
1982年北海道札幌市生まれ。ハウスメーカーのマーケティング部に所属。並行してアパートの一室をセルフリノベーションしたアトリエで《ウイスキー抽象画》を描く「ノムスル」を継続。オンラインで自作のZINEや作品も販売中。
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