書店ナビに何回もご登場いただいている児童文学作家の升井純子さん。書店ナビ取材班がとりわけ今度の新刊を心待ちにしていた理由を初公開!
[2025.6.23]
一般には読者層が固定されがちな児童文学だが札幌出身・在住の児童文学作家升井純子さんの著作に宿る爽快感は、大人の皆さんにもぜひ一度体感してもらいたい。
1992年に初の単著『爪の中の魚』(文渓堂)が出てからこの道30年選手になる升井さんだが、その目線はいつもまっすぐだ。
毎年恒例の桜前線報道で「北海道の桜がようやく開花しました」と聞けば、「…”ようやく”? “ようやく”ってなんだ?」と疑問を抱き、そこから1冊の写真絵本が誕生する。
写真家小寺卓矢さんとの共著『さくららら』(アリス館)は主人公の桜が言う。「わたしがさく日は、わたしがきめる」。無意識の同調圧力から軽やかに抜け出す、気持ちのいい一言だ。
「私はここしか書けないので」とご本人が語るように物語の舞台はつねに”ここ”北海道。2020年3月に出版した『ドーナツの歩道橋』(ポプラ社)は札幌の菊水円形歩道橋を舞台に、家がパン屋を営む高校一年生の麦菜と家族が初めて向き合う祖母の介護体験を描いている。
第465回 児童文学作家・升井純子さんの新刊『ドーナツの歩道橋』
このとき、あとがきでも綴っているキーワードが「ヤングケアラー」。こども家庭庁HPでは「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」と定義されている若年層だ。
升井さん自身が自宅介護を経験したこともあり、「これは大人に限った問題ではない」とヤングケアラーには一際強い関心を持っていた。
『ドーナツの歩道橋』の麦菜ちゃんは両親・弟・友人たちに囲まれた団体戦だったが、今度の主人公・高校2年の解くんは母子家庭という個人戦。
双極性障害を持つ母の面倒を一人で見ているという設定でヤングケアラーの実情をさらに掘り下げた最新刊『君に向かって線を引く』(ローカルブックス)が2025年5月に発売された。
物語の舞台は札幌民に「ナンピラ」とも呼ばれる南平岸(みなみひらぎし)に決め、2020年7月には現地の下見も行われた。
実はそのロケハンの案内役を務めたのが幼少期をナンピラで過ごした北海道書店ナビの担当カメラマンであり、ライターも興味津々で同行した。
というわけで我々も完成を心待ちにしていた今回の新刊、実物を前に著者の升井さんにたっぷりお話をうかがった。
2020年7月某日、ナンピラ下見中の升井さん(右)と休日スタイルの書店ナビカメラマン。「ボクが小学校の時は…」と思い出を振り返りながら公園や霊園、立ち寄りスポットを案内して回った。
書店ナビ:『君に向かって線を引く』ご出版おめでとうございます!
升井:ありがとうございます!書店ナビのおふたりにもやっとお届けすることができました。
そもそもナンピラを舞台にしたのは、札幌の方はきっとご存知の方も多いと思いますが「地上を走る地下鉄」を覆うかまぼこ型のシェルターが気になって。
実際に地下鉄に乗って突然視界がぱぁっと開けるあの光景を見た瞬間に”これを生かせる話を書きたい!”と思いました。
ヤングケアラーの主人公カイ君が「困ったな」「辛いな」ということばかりではなくて、彼がどういうふうに新しい道を見つけていくかということと重ね合わせながら書きたくなりました。
地下鉄南北線「南平岸」駅から地上に上がる地下鉄。1972年の札幌オリンピック開催に間に合うよう工期短縮のため、こうなったという。
ロケハンの一コマ。「模型屋さんとか書きたい場所はいっぱいあったんですが話のテンポを考えると書き過ぎもいけなくて泣く泣く削りました」
書店ナビ:カイくんの母親つぐちゃんの造形はどのように決めていかれたんですか。
升井:つぐちゃんと同じ症状の知人はいますが、とりたててモデルがいるわけではないんです。いろいろ調べながら症状や治療法などを頭に入れていきました。
つぐちゃんもちょっと頑張り過ぎちゃったんですよね(升井さんは登場人物のことを話すとき、いつも本人視点で語る)。
自分はもっと働いて社会に貢献できるのにという気持ちと、カイ君に対しては自分譲りの数学の力に期待すると同時に「ごめんね」っていう気持ちも持っている。でもこういう病を得て自分の気力だけではもうどうしようもないということが、だんだんわかってきたんです。
この親子像ができてからふたりだったらどう生活するか、カイ君はどんな学校生活を送れるのかあるいは送れないのかを考えていきました。
カイ君のクラスメイト、ベン君や高橋君も決して進行上都合のいい脇役にはとどまらない。「二人ともカイ君にああ言ったのは、自分が親や周囲から同じことを言われたことがあったんじゃないかしら」
書店ナビ:作中、札幌民なら「あそこだ!」とわかる場所がいくつもあり、北海道赤十字血液センターの大通献血ルームも出てきました。
升井:献血センターって実は高校生の利用が多いんですよね。献血した人向けにいろんな無料サービスも充実していて、私もよく行くんです。
学校でも家でもない第三の場所が欲しくて取り入れました。
書店ナビ:そこでカイ君はハッタメさんと出会い、さらにハッタメさん経由で「巣立ちの家」を知ることに。
升井:「巣立ちの家」は札幌市若者支援総合センターに事務局がある「子ども・若者の居場所 いとこんち」に取材をお願いしました。
行ってみると本にも書いたように本当にいろんな大人や子どもたちが出入りしていて、見学に行った私のことも誰も全然気にしない。
むしろ子どもに「お菓子あげる」って構ってもらったりして、すごくあたたかい雰囲気でした。
書店ナビ:この本をきっかけに「いとこ」の登録が増えるといいですね。関心がある方は下記のリンクをぜひご覧ください。
https://syaa.jp/wp-content/themes/syaa-corp/img/pdf/itokonchi.pdf
カイ君から補助線が引かれる名場面はこの場所で遭遇したある出来事から誕生した。「この坂道の急勾配を自分の足で歩いたからこそ、ハッタメさんの本気やカイ君の決意が書けたと思います。本当にいいものを見せてもらいました」
書店ナビ:本書は升井さんの自費出版であり、岩見沢の編集者來嶋路子さんが手がけるレーベル「ローカルブックス」から発行されています。
どのようなご縁で出版が実現したんでしょうか。
升井:以前、札幌市の学校図書館地域開放事業として図書館司書さんやボランティアさんたちを対象にした講演会を依頼されたことがあったんです。その依頼が当日の2週間前に来たものだから「えっ、今?」と驚きまして(笑)。
聞けば当初講師に予定されていたMAYA MAXXさんが来れなくなり、急遽代役を探していたみたい(親友の來嶋さんに誘われ2020年夏に岩見沢・美流渡(みると)に移住したMAYA MAXXさんは、2025年1月9日肺がんのため亡くなった)。
そのご縁で來嶋さんと繋がりまして。実はこの原稿を一度出版社に持ち込んだけれども出版を断られてしまったことをお話ししたら「うちで出しませんか?」と言ってくださったんです。それでお世話になることにしました。
「講演会ではMAYAさんのご本『トンちゃんってそういうネコ』をご紹介しました。私も大好きな絵本なんです」
書店ナビ:來嶋さんの「ローカルブックス」はデザイナーや印刷会社も全て來嶋さんが手配してくれるので初めて自費で本を出す方は安心ですね。
道外におられるデザイナーさんとはお会いになったんですか。
升井:一度オンラインで打ち合わせしました。これまで出版された私の本も見てくださって「こういう感じ(『ドーナツの歩道橋』表紙のようなイラスト展開)はできないけれど自分なりにできることをやります」と言ってくださったのがすごく印象に残っています。
書店ナビ:表紙が発表されて正直びっくりしました。神社や地下鉄、鳥カゴ、赤十字マークなどのアイコンが配置されていてスタイリッシュ。
升井:私の子どもたちにも「おかあさんの作品にしてはハイカラだね」って言われました(笑)。新しい読者層を広げてくれそうですよね。
カバーを外した本の表紙と中扉に数学の図形問題が描かれていますが、実はこれ、本文でカイ君が考えていた問題なんです。
デザイナーさんが原稿を読んだ段階で「これってあの難問で有名な○○○○の問題ですよね」と言い当ててくれて。「そこまでわかってくださったんだ!」と感激してあとはもう全て安心してお任せすることができました。
おちゃめな升井さんは表紙の鳥カゴに触発されてご自分で鳥シールを購入。「好きなコを貼ってみてください!」と言われてペタリ。特別な一冊になった。
書店ナビ:『君に向かって線を引く』という直球のタイトルはどなたの案ですか。
升井:私です。最初はね、『ドーナツの歩道橋』の続編のような位置付けですから『光が見えた地下鉄』(笑)みたいなのを考えてたんですけど、どれもぴたっとこなかった。
カイ君が自分から誰かに向かって「助けてください」と線を引く。それを考えるとやっぱりこのタイトルになりました。
書店ナビ:この本の完成と同時に北18条にある書店Seesaw Booksの棚オーナーにもなられたとか。
升井:そうなんです。來嶋さんから「自費出版はご自分で売るところまで考えてくださいね」と言われて、棚の名前も〈書いて、売る〉から「カクール書店」にしました。
いま話題の「ぷらっとBOOK」さんも見学しましたが、こういう棚貸ししている本屋さんって皆がお互いに信頼しあっているからできるんじゃないかなと感じました。
買う方も「ここにある本なら大丈夫」という大前提がなかったら、きっと手に取ってみようと思わないんじゃないかしら。新しい本屋さんの形なんだなと新鮮な気持ちで見ています。
「棚のオープン準備はすっごく楽しかった!どんな風に見せようかワクワクしながら考えていきました」
升井:改めて今回の新刊を振り返ると、ナンピラの下見につきあってくださったおふたりをはじめ「いとこんち」の松田さんや來嶋さん…すごくいい出会いに恵まれたおかげで完成したと思っています。
1冊の本が実はいろんな人たちの力が集まって出来上がるということが、今まで以上に実感を伴って理解することができました。
これまではなんとなく自費出版に対して縁遠いイメージを持っていたんですが、今は「ローカルブックスいいじゃないか!」と声を大にして皆さんにお伝えしたい気持ちでいっぱいです。
北海道から発信できるっていうのがすごく誇らしいし、そういう気持ちになれたことが一番大きな発見でした。
書店ナビ:私たちも新たな北海道産児童文学の誕生に微力ながらお手伝いできたことがとても貴重な経験になりました。
『君に向かって線を引く』はBOOTHのカクール書店からも購入できますね。
書店ナビ:ヤングケアラーを描いた本書が気になる方、升井さんをお招きして中高生と読書会を開きたいという方は森の出版社ミチクル來嶋さん、または北海道書店ナビまで気軽にお問い合わせください!
児童文学作家。札幌市出身。小学校教諭をつとめたのち、作家になる。1991年『爪の中の魚』で第1回ぶんけい創作児童文学賞佳作受賞。2010年『空打ちブルース』で第51回講談社児童文学新人賞受賞。主な作品に『シャインロード』(講談社)、『さくららら』(小寺卓矢写真・アリス館)、『ドーナツの歩道橋』(ポプラ社)等、日本児童文学者協会会員。「まほうのえんぴつ」同人。
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