ビジネス書やデザイン本に限らず「なんでも読む」という畑中さん。「そうすると人の話もよくわかるようになりますよね」
[2023.12.4]
書店ナビ:蔵書数5000冊の読書家だといううわさを聞きつけ、札幌市内の制作プロダクション、株式会社スケッチクリエイト代表取締役の畑中裕有さんにご登場いただきました。
仁木町生まれの畑中さんは北海道デザイナー専門学院を卒業後、リクルートの制作アシスタントを経て広告プロダクションに15年間勤務。2013年に独立し、スケッチクリエイトを創業されました。
畑中:前の職場では営業兼ディレクターで、最後の5年間は取締役営業部長として経営にも参画していました。
独立して実感したのは、このときの営業経験が非常に役に立ったこと。それと組織のナンバーツーとしてあれこれ考えるのと実際に自分の会社を経営するのは、全く違うということ。
頭ではいろいろわかっていたつもりですが創業して10年、勉強することばかりでした。
書店ナビ:2020年に中央区にあったオフィスを現在の豊平区に移されたとか。
畑中:年明けのさっぽろ雪まつりで北海道で初めて新型コロナウイルス感染者が出たという報道を聞いた瞬間、「引っ越そう」と決めました。
今でもどうしてそんな決断ができたのかわかりませんが、このパンデミックは3年くらい続くだろうし、経費を見直すいい機会にしようと。職住近接も考えて、自宅に近い新事務所で仕切り直したほうが絶対にいい。
そう考えて向こう3年間の金額的なシミュレーションをしたところ、実際に引っ越してから3年後の決算で本当に予想通りの利益が出ました。
それにちょうど3年前あたりからだんだん営業に対する意識が変わり、会社の経営は自分ひとりで考えてどうにかなることでもないなと思えるようになってきて。 思わぬきっかけでしたが、ちょうどいいリスタートになりました。
書店ナビ:コロナ禍で皆がさまざまな決断を迫られましたが、畑中さんはそれが見事にいい結果につながったんですね。
読書体験はいつ頃から?
畑中:中学生の時に読んだ横山光輝のコミック『三国志』が始まりだと思います。そこから兵法や戦略の面白さにハマって、中学生なのにビジネス書を読んだりして。
ちなみに村上春樹か村上龍かというと僕は龍派で、結構影響を受けていると思います。龍派の人はなぜか公言しないですよね。
「なんでも読むんです」の言葉通り、あらゆるジャンルの本がびっしり!オフィスには約3000冊、ご自宅にも画集や漫画など2000冊近くの蔵書がある。
畑中:今回のフルコースも作家縛りにしようかとかいろいろ考えましたが、あまりマニアックなものよりもちょっと”抜け感”を出したくて画集系のフルコースにしました。
仕事をしていると資料作りやメール、原稿など、言葉を駆使してときどき疲れます。そういう時は非言語的な表現、「線」を肴に頭を休めたりします。
「スケッチクリエイト」という社名も、僕自身が線描きのさらりとしたスケッチが好きだから。スケッチするように軽やかに仕事したい、という願いも含んでいます。
書店ナビ:版元の解説を読むと「150 年間にわたってマクミラン社が出版した、全ての異なるバージョンの挿絵と彩色を集めた、世界ではじめての完全版」だそうです。
アリスのイラストにこんなにもたくさんのバージョンがあったとは驚きです。
畑中:それだけテニエルのイラストのインパクトが大きいんだと思います。ですが皆さんがよく知るジョン・テニエルのイラストって、実はすごく不思議なことばかり。
まずアリスが少女なのに可愛くないですよね(笑)。どこか冷めた表情で大人っぽいし、しかも明らかに頭身がおかしい。頭が大きいんです。
有名なチェシャ猫も不気味な感じがして、人物も動物も読者に媚びていない。このどこか不穏なタッチのキャラクターたちが、物語の異世界観をより膨らませています。
ジョン・テニエル(1820年-1914年)はイギリスのイラストレーター。風刺漫画家でもあり、アリスの著者ルイス・キャロルの依頼で挿絵を担当した。
畑中:この本はテニエルの後に続くイラストレーターたちがどんな風にアリスの世界を受け継いでいったのかを見比べられるようになっています。
各自が原画のダークで独特な線を継承しつつ、彩色や影のつけ方、大胆なアレンジで自分らしい作品にしようと試みていますが、それくらいテニエルが作った世界観が強い。
テニエルを超えるイラストが今も出てこないということが、それを物語っていると思います。
書店ナビ:イワン・ビリービン(イヴァン・ビリビンと表記されることも)は20世紀初頭のイラストレーター。日本では手塚治虫や宮崎駿もその影響を受けていると言われています。
畑中:僕が感じるこの人の魅力は、構図と線。例えば、植物の表現を見ても葉と枝を描き分けていないんです。すべてを包括してシルエットのように1本の輪郭で表現している。初めてそれを見たとき、こういう処理の仕方があるんだとびっくりしました。
思いきって何かを簡素化することによって際立つものがある。そのお手本のような線だと思います。
熱心に民話を集めていたビリービン。物語の挿画には唯一無二の美しさが宿っている。
「ビリービンは浮世絵の影響も受けており、この雪の描き方とか浮世絵っぽさを思わせるタッチも見受けられます」
畑中:僕は特にビリービンの夕日の表現が大好きで、ロシアの原作本をいくつか取り寄せましたが印刷の色味が安定していなかった。その点、東京美術さんのこの本は良かったです。
書店ナビ:本書のような画集系はやはり紙の本での鑑賞が楽しいと思いますが、畑中さんは電子書籍もご覧になるんですか?
畑中:どちらもたくさん読んでみて、僕なりに「どうして電子書籍は読み続けることができないのか」という問いかけの答えを出したこともあるんです。一つは「光の方向」です。
電子書籍の場合、光はデバイスの画面から発生しますが、紙の本は反射光。太陽や照明の光が紙面に当たったものを僕らは見ていますよね。どちらが人間にとって自然かを考えると、多分後者なのではないかなと想像しています。
それからもう一つは「尺」の問題じゃないかなと。紙で読んでいると、ページの厚みから自分が今どの辺を読んでいるかわかるじゃないですか。
まだ中盤だからもうひと盛り上がりくるかなとか、残りこれくらいならあと1時間夜更かしして一気に読んじゃおうかなとか、考えることができる。
電子書籍でも残りがわかるゲージはありますが、本(デバイス)を持つ感触が変わらないので直感的に話の現在地がわからない。それが居心地悪くなる。そう考えると、人は目だけじゃなくて手でも読んでいるんだなと実感します。
以前、村上龍の『歌うクジラ』を電子書籍で買ったんですが、何回チャレンジしても先に進めなくて最後は文庫で買い直して読破しました。
書店ナビ:吉田博(1876-1950)は明治から昭和にかけて活躍。23歳で初めて渡米したのを皮切りに欧米に3回、合計7年を超える外遊で見つめた世界の絶景を木版画に残しました。 畑中さんが指摘される通り、ビリービンの世界と似たものを感じますね。
畑中:吉田さんがビリービンを知っていたかどうかはわかりませんが、この雲のたなびき方とかは同じようなアプローチをしているのではないかと感じます。
2023年12月16日から「吉田博木版画の100年」と題した展覧会が静岡県のMOA美術館で開催される。
畑中:これも…見てもらった方が早いかも。まるで写真のようですが、この水面のゆらめきや帆船を包み込む逆光のグラデーションを、何色も版を重ねて表現していることにただただ驚くばかりです。
色を決めるためには線を決めねばならず、線を決めるということは他の線を捨てるということ。その潔さを想像するとしびれます。
「これほどの観察力と技術力が詰まった絵はともすれば見る人に当たりが強いものもあると思うんですが、吉田さんの作品にはそれを感じない。もしかしたらとても謙虚な人だったのかなとか、そういうのを想像するのがまた面白いんですよね」
書店ナビ:ピーター・ジャクソン監督の映画化が大成功した『指輪物語』、畑中さんは映画からですか?それとも原作から?
畑中:小さい頃に読もうとしたんですが、どうしても第1巻の序章で延々と描かれるホビットの説明を突破できなくて。
大人になって映画を見て「そういうことだったのか!」と思い、改めて原作を読んで追体験しました。
『指輪物語』はもちろん物語そのものも面白いんですが、その物語が面白いということはその世界観にそれだけ説得力があるということ。
かなりの言語オタクだったトールキンがエルフ語を創造したように、表面に描かれていることの10倍から100倍ぐらい考えて、それらを凝縮したものが表面に出てきていると思うんです。
そうするとやっぱり著者本人が何かの切れ端に描いたスケッチや資料を見たくなる。表象の奥にある源流に触れるのが好きなんです。
「山の描き方を見てください。色のグラデや陰影じゃなくて小さなブロック分けで構成しています。トールキンはなぜこういう描き方をするのか。ひょっとすると西洋の教会にあるステンドグラスの影響もあるのかもしれないですよね」
「日本画は横に広がる絵が多いのに対して西洋の絵は縦に奥行きがあるものが多い。ホビット村の水彩画などは神話・民話を1枚に封じたビリービンの構図と同じような印象を受けます」
畑中:『紅の豚』でわかるように、媒体が模型雑誌ですからもう宮崎さんが大好きな世界。さらっと描いているような機械類のデッサンや人物が入り込んだ航空機や戦艦の構図、解説的な断面図など、とにかくうまい。見惚れてしまいます。
波の動きを表現するために水面の一部を白く塗っているところには、本人も公言しているようにビリービンの影響を感じます。
『紅の豚』の原作となった「飛行艇時代」や、サン=テグジュペリの『人間の土地』に出てくる農夫が初めて航空機に乗せられて空から自分の耕地を見たときにわからなくなる、という場面も描かれていて、本当に宮崎さんが好きな題材を好きなだけ描いた贅沢な雑想ノート。
うまいなあ、という一言しか出てこないですね。
書店ナビ:冒頭で社名にもなった「スケッチ」への思い入れを話してくださいましたが、ご紹介いただいた本はどれも繰り返しページを開きたくなるスケッチが詰まった5冊でした。
畑中:僕は、誰かが何かを見た瞬間に対象物の輪郭をさっと捉えて何気ない線で描いたスケッチを見ていると、一瞬言葉が消える感覚があるんです。この「言葉が消える」時間を持つことが現代はとても難しくなってきているんじゃないかなと感じます。
今はスマートホンの中にもSNSにもいつも誰かの言葉が充満していて、ときには自分だけの余白を持つことが必要だと年々感じるようになりました。
無印良品で揃えた棚は奥にブロックを寝かせて高低差を出し、取りやすいようにひと工夫。
フセン派の畑中さん。「ダイソーにいいのがあるんです。見つけたらいつも大人買いしちゃいます」
畑中:実は過去に2回くらい持っている本、当時で200冊くらいだったかな、それを全処分したことがあって、今振り返るとそのときもきっと自分に余白がなくなって苦しかったんだと思います。
自分にも会社の経営にも自信が持てなくて、その不安を補うために本に頼っていた時期でしたが、でもあまり質のいい本を読んでいなかったのかも。「もういいや」と発作的に全処分して、気持ちがずいぶん楽になりました。
誰かと比較するのではなく、自分自身がどうやって年を重ねていこうかと考えられるようになったときにふと気がつけば、今日ご紹介したような線で描かれたスケッチが絶えず自分の身の周りにあったし、実際それを求めていたんだろうなと素直に思えるようになりました。
これからも創作の謎を線やスケッチからいろいろ推理して、ひとりで勝手に感動する、という気分転換を楽しんでいくつもりです。我ながら金のかからない趣味だなあと思います(笑)。
書店ナビ:画集だけのフルコースは「本のフルコース」史上初めてでした。スケッチから想像を膨らませる楽しさや自分だけの余白を持つことの大切さを教えてくれた畑中さんのスケッチ本フルコース、ごちそうさまでした!
北海道仁木町出身。北海道デザイナー専門学院を卒業後、リクルートの制作アシスタントを経て広告プロダクション「ボンカーズ」に15年間勤務。2013年に独立し、株式会社スケッチクリエイトを創業。蔵書数5000冊近くを自宅とオフィスに分けて所蔵する。
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