[2018.6.11]
「本気で挑戦!」の教員&生徒たちが
宮沢賢治と北海道の関わりを本気で探求!
いま北海道でもっとも注目を集めている私立高校、札幌新陽高校。これまで北海道書店ナビでも、幾度も取材にご協力いただいています。
祖父である創業者の意志を継ぎ、教員未経験ながら2016年2月に校長に着任された荒井優校長には「本気で読書したくなる本」フルコースをつくっていただき、生徒さんたちにはクラスメートとペアになって取材する・されるを体験するフルコースワークショップに挑戦してもらいました。
●荒井優校長「本気で読書したくなる本」フルコース
●フルコースワークショップ 札幌新陽高校前編
その新陽高校が2018年春、教科書での学びをさらに深める副読本『青の旅路』を企画・作成しました(東京書籍から出版)。
副読本のテーマは、詩人で童話作家の宮沢賢治。
教科書でおなじみの宮沢作品のなかでも《北海道にゆかりのある作品》に焦点を絞った副読本を、しかも生徒も参加して作成したという全国でも類をみない話は、たちまち話題になりました。
《青の旅路》目次
一、一九二七年三月二十八に下書稿から改稿された一○一九「札幌市」
二、心象スケッチ『春と修羅』第二集より 「津軽海峡」「函館港春夜光景」ほか
三、心象スケッチ『春と修羅』第一集より 「青森挽歌」「噴火湾(ノクターン)」
四、修学旅行復命書(抜粋)
五、銀河鉄道の夜
六、草野心平『わが賢治』より
七、特別インタビュー 宮澤明裕さん
八、コラム きれぎれの想いをつなぐ 高橋励起
副読本を作成した主なメンバーは、新陽高校国語科教員の高橋励起(こうき)先生と2年生6人の生徒有志たち。
「中学時代に父から宮沢賢治の詩集を送られて以来、その世界に魅せられている」高橋先生の企画に荒井校長が理解を示し、岩手県花巻市の宮沢賢治記念館への出張も全面バックアップ。
賢治ゆかりの関係者へ取材も行い、副読本巻末には賢治の弟、清六氏の孫であり記念館の学芸員である宮澤明裕さんのインタビューも掲載されています。
生徒たちは、副読本の主役である賢治作品のテキストをパソコン入力する作業を分担したそうです。
この『青の旅路 宮澤賢治と北海道』出版を記念して、高橋先生たちは2018年5月27日に文学ツアー「みんなで歩こう賢治先生のサッポロ」を企画。
書店ナビも参加して、「賢治先生」の足跡をたどってきました!
当日は副読本作成に関わった生徒数名も同行した。
「みんなで歩こう賢治先生のサッポロ」に参加
詩作「札幌市」の”楡の廣場”は大通西6丁目?
晴天に恵まれた「みんなで歩こう賢治先生のサッポロ」当日、集合場所の赤れんがテラスに関係者を含め総勢50人近くが集まり、参加者全員に副読本の『青の旅路』が配られました。
高橋先生の説明によると、宮沢賢治は1924(大正13)年5月、花巻農学校教諭時代に修学旅行の引率で札幌を訪れたそうです。
今回の企画は、そのときにどう過ごしたかを学校に報告する「修学旅行復命書」をもとに「賢治先生」が歩いた道のりをみんなでたどろうというものです。
晴天の当日、挨拶をする主催者の高橋励起先生
「それでは副読本の44ページを開いてください」という高橋先生の一言で、大人の参加者も一気に”生徒モード”に引き込まれました。
ページを開くと、「札幌市に着く」という一行に続いて「先ず駅前山形屋旅館に宿泊を約し直ちに大学附属植物園に行く」という記述があります。
「実はこの山形屋旅館があった場所がいま、まさに皆さんが立っている赤れんがテラスなんです」。
そう聞いて、参加者全員がビックリ!今から94年前、賢治先生はここにいたんだ…。作家との距離が一気に縮まったような気がします。
その後一行は修学旅行復命書どおり、北海道大学附属植物園へ。
テレビ局の取材が密着!皆がうつむいているのは『青の旅路』の附属植物園引用箇所を読んでいるから。
復命書には「門前より…(中略)逞き楡の木立を見、」とあり、賢治先生は生徒たちを植物園で遊ばせたあと、「閉園近く去りて道庁構内を通り旅館に帰る」日程だったようです。
ここで高橋先生から「この”楡”という単語は今日のキーワードのひとつですから覚えておいてください」と謎めいた一言が…。
次はさっぽろライラックまつりでにぎわう大通公園、西6丁目に向かいました。なぜか?
宮沢賢治は札幌訪問の3年後に書いた「札幌市」という詩の下書きを残しています。『青の旅路』にも「札幌市」の下書稿4パターンが掲載されています(ご遺族の了承を得て下書稿の写真が出版物に掲載されたのは本書が初!)。
そのなかの一編に「開拓祈念の石碑」という一行があり、この「石碑」がいまも大通西6丁目にある「開拓祈念碑」ではないかと、研究者たちが指摘しています。今回高橋先生たちは、そこに新たな解釈を加えました。
「別の下書稿には”開拓祈念の楡の廣場に”という表現もあり、その楡とはこの西6丁目に今もある楡科のけやきのことなのかもしれません」
記録には残っていないけれども、宮沢賢治はもしかするとこのあたりを散策し、それが詩作に影響しているのではないかーー。宮沢賢治研究に新しい視点を投げかけます。
妹トシの死、「札幌市」に出てくる「青い神話」
オルフェウスの悲しみの「楡」と「銀河鉄道の夜」
文学ツアーの最終目的地は、大通西13丁目にある札幌市資料館。ここで改めて、教科書副読本『青の旅路』の紹介と、その作成過程でわかった驚きの事実が明かされました。
それはテキスト入力を担当した生徒の一人、2年の大竹仁くんの祖先が、宮沢賢治が宿泊した「山形屋旅館」の創業者、大竹敬助氏だったこと!
「自分の家系にそういう人がいたことは聞いたことがありましたが、まさかここで結びつくとは思ってもいませんでした」と本人も驚きを隠せません。
実はこの大竹くん、2017年に「本のフルコースワークショップ」を受けてくれた1年1組出身。彼がそのときに考えたフルコースは、「鉄道についての本」フルコース。
写真と鉄道が大好きな大竹くんらしい3冊を紹介してくれました。
副読本『青の旅路』にも大竹くんが撮影した岩手県のローカル鉄道「SL銀河」(『銀河鉄道の夜』をイメージした観光列車)の写真が掲載されています。
一年ぶりに会った大竹くんはすっかり堂々とした立ち居振る舞いで、なにより学校生活が楽しそう! 生徒の好きなことや本気を伸ばそうとする新陽高校らしい成長を感じさせてくれました。
参加者同士の自己紹介を兼ねたワークショップ《「札幌市」の一行目「遠くなだれる灰光」とはなんだ?》の時間も、おおいに盛り上がった。
そうして最後は高橋先生の口から今回の副読本作成にあたってさらに得られた新しい研究発表が!
「札幌市」の中に出てくる「青い神話」という一言と、同時期に書かれたであろう心象スケッチ『春と修羅』で触れられているギリシャ神話のオルフェウス的主題(亡くなった妻を冥界から連れ戻せなかったオルフェウスが悲しみにくれて竪琴を弾いたことからこの世に生まれたのが「楡の木」(ここでもまた登場!)であるという言い伝え)、そして賢治の代表作『銀河鉄道の夜』には、なんらかの関連性があるのではないのかというのです。
札幌を訪れた2年前、宮沢賢治は「最大の理解者」とも言われる妹トシを結核で亡くしています。その悲嘆は賢治を根底から揺さぶるものであり、「愛しいものを冥界に送った」賢治とトシ、オルフェウスと妻のエウリュディケ、そして『銀河鉄道』のジョバンニとカンパネルラの3組が、作品世界のなかでさまざまな形で交錯し、重なり合っているのではないかーー。
こうした”新発見”を含め、札幌新陽高校では引き続き「札幌市」の解釈や執筆時期の特定に、同校の独自科目「探求基礎」の宮沢賢治ゼミで取り組んでいくそうです。
札幌新陽高校が宮沢賢治に「本気」で取り組む今後の活動も見逃せません!
札幌の前年には旭川も訪問
こども冨貴堂福田店長の宮沢賢治フルコース
これまで100本以上連載してきた本のフルコースに、賢治作品をあげる人は少なくありませんでしたが、”宮沢賢治本だけ”でフルコースを作ってくれた方はおひとりだけでした。
旭川の買物公園にある「こども冨貴堂」の福田洋子店長です(2017年3月更新)。
児童書専門店の店長からイーハトーヴォに愛をこめて
「私のすきな宮沢賢治本」フルコース
このときの「ごちそうさまトーク」でも、こども冨貴堂併設のギャラリープルプルで常設展示している絵本作家のあべ弘士さんが、宮沢賢治が札幌を訪れる前年の1923(大正12)年8月に樺太に向かう途中で旭川を訪れ、書き上げた一篇の詩「旭川。」を絵本化した作品が紹介されています。
「札幌市」もあれば、「旭川。」もーー。
北海道を訪れた宮沢賢治の足跡は、教科書副読本や絵本などさまざまな形になって、いまを生きる私たちも楽しむことができます。
教科書に載っている「古典」や「課題」としてではなく、私たちが暮らす北海道から生まれた宮沢賢治作品を楽しむーー。新しい読書の喜びが広がっています。
札幌新陽高校企画の教科書副読本『青の旅路』は市販していません。関心がある方は、お問い合わせは電話011-821-6161札幌新陽高校 高橋励起(こうき)先生まで。
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